栄町 御宿

栄町は、昔は東の上長町、西の下長町に分かれていて、それぞれの町に1つの御宿がありました。
栄町には酒屋が多く、上長町は猩生、下長町は神功皇后と建内宿禰の人形を飾っていました。
下長町は人形をかえていましたが、明治時代に神功皇后の人形が固定化されました。
また、江戸時代にはからくりなどの軽わざを行っていたそうです。
北新町と南新町は1600年代中ごろに分かれました。
栄町では、焼いた鯛や、砂糖と米をお供えしています。昔は、お笠は大工さんを呼んで初めから作っていました。
お笠を傷つけたために、火事が起こったというような言い伝えもあるそうです。
弾き手は、昔から上秋津の農家に依頼しています。
楽器を演奏する人は地元の人が多く、練習は年間を通して行っているそうです。
お稚児さんは7月から練習しているそうです。
子供の数が減ってきており、対策として10年ほど前から女の子の参加が認められるようになりました。
今年は、4人中3人が女の子とのことでした。